FIBAアジア選手権2013――韓国代表 司令塔インタビュー【2】 [海外]

キム・テスル 韓国代表 #7 安養KGC #1

取り戻した太極マークを胸に、初のアジアに挑む“闘魂”ガード

「キム・テスル」――今年29歳になる韓国の司令塔は、日本では知る人ぞ知る存在だ。韓国内ではトッププレーヤーであるにもかかわらず、トレードと兵役のために2年8ヶ月もの間、コートに立てなかった試練を味わった。しかしこの2年で再起し、トップガードの座へと躍動した。日本では知る由もない兵役からの這い上がりと、初のアジア選手権に向けての思いを聞いた。

インタビュー・文・写真/小永吉陽子  通訳・翻訳/朴 康子

キム・テスル KIM, Tae Sool (韓国代表 #7、安養KGC #1)

取り戻した名声と太極マークを胸に
初のアジアに挑む“闘魂”ガード

キム・テスル(韓国代表#7/180㎝・80㎏/PG/1984年生まれ、28歳)

日本では考えられない兵役制度
決して逆らうことのできない
運命からの這い上がり

 2年8ヶ月の空白などまるでなかったかのように、韓国代表の司令塔、キム・テスル(以下キムテスルと表記)は太極マーク(韓国旗)をつけてアジア選手権のコートに立った。

 キムテスル、今年29歳――。彼は将来を嘱望されていた選手であるにもかかわらず、兵役とトレードによって、24歳から26歳までの成長期にバスケットボール選手として一切活動することができなかったプレーヤーだ。日本では考えられない残酷なことが、韓国の兵役制度の中では起こりうる。しかし彼は試練を乗り越えて代表のコートに戻ってきた。

「キムテスル」の名が日本に知れ渡ったのは2005年、大学3年のときの李相佰杯(日韓学生選抜大会)で来日したときだった。センスあふれるトリッキーなプレーを披露し、代々木の観衆を沸かせたことで覚えているバスケファンも多いだろう。

 180㎝と身長は決して大きくはないが、ポイントガードに必要なスキルをすべて兼ね備えている。ルーキー時代についたニックネームは「マジックキッド」。一手、二手と先読みするリーディング能力と、絶妙な駆け引きからの1対1の力を持つことを意味する。特に、ディフェンスをかわして打つ正確無比なバンクシュートは、KBLではキムテスルの専売特許といえるほどの必殺プレー。最終的に自分で打開できる1対1の力があるからこそ、真っ先に周りを生かすことができるのだろう。

 冒頭で紹介した通り、キムテスルのバスケット人生は波乱万丈だ。名門・延世大時代から「次世代の韓国を背負うガード」との期待をかけられて国家代表入り。黄金世代と呼ばれた2007年KBLドラフトでは全体1位指名を受けてソウルSKに入団。新人王とベスト5を同時に受賞するなど、スター街道をひた走っていた。しかしプロ2年目のシーズンが終わると同時に、彼のバスケットボール人生はどん底へと落ちていく。

 彼を待ち受けていたのは、チーム再建に向けて若いガードを希望していた安養(アニャン)KGCへのトレードと兵役問題だった。

 KGCは壮大なチーム再建計画を立てていた。入隊時期を迎えていたキムテスルをトレードで呼び、KGCの若きフランチャイズスターで、キムテスルと延世大の同期であるヤンヒジョン(194㎝、2012年度韓国代表)を同時に軍隊に送り込むというもの。これにより、2年間は結果が残せなくとも、除隊する2年後には2人の若き看板スターが生まれることになる。これまでのKBLにはない大規模なリビルディングにチームの命運を賭けたのだ。

 だが、壮大な計画は一歩目でつまずく。トレード時期が遅かったために、優秀なスポーツ選手が入隊する国軍体育部隊の「尚武」(サンム)の募集には間に合わず、彼に残されたのは国の機関や公共団体での奉仕や業務をする「公益」の道しか残されていなかったのだ。

 尚武に入隊することができれば、KBLの2軍戦やアマチュアの試合に出ることができ、代表活動も続けることができる。ゆえに有望なスポーツ選手は誰もが尚武入隊を希望する。しかし、公益勤務では試合のコートに立つことは一切できない。公益に就いたあとに消えていったスポーツ選手は数知れず。キムテスルの名前は、2008年のオリンピック最終予選を最後に、聞かなくなってしまった。

緩急をつけたゲームメイクが光り、大学時代から日本では名前が知れていた存在。KBL観戦やジョーンズカップ観戦で台湾まで出向く日本人ファンもいる

ロンドンオリンピック最終予選で活躍し
名実ともに韓国を代表するガードに成長

 しかし、キムテスルは周囲の予想を覆して復帰1年目のシーズンに見事なまでの再起を果たした。復帰した2011-12シーズン、リーグ3年目までの若い選手が主力となった安養KGCは、躍動感あふれるプレーで優勝候補の原州トンブを破って初優勝する快挙を遂げた。キムテスルはベスト5と韓国代表に返り咲く活躍を披露。さらに、彼の真骨頂が発揮されたのは優勝直後に開催されたロンドンオリンピック最終予選(2012年7月)だった。

 メインガードのヤン・ドングン(蔚山モービス)が直前の練習試合で腕を骨折するアクシデントにより、スタートに抜擢されたキムテスルは、ドミニカ共和国戦において、残り3分まで接戦を展開するアップテンポなリーディングを披露した。最終的には10点差で敗れはしたが、13得点、6アシスト、6リバウンド、3スティールを記録し、オールコートで躍動する新しい韓国の可能性を示したのだ。

 また、負傷病棟と呼ばれるほどケガ人が続出した昨シーズンは、自身もオーバーワークによって患った腸炎を抱えながらも、レギュラーシーズン54試合を一試合も欠けることなくチームを牽引。セミファイナル4戦目にしてシーズン優勝のSKの前に力尽きたものの、敗れてもなお、ホームコートに集まった大勢のファンからはスタンディングオベーションで讃えられるほど、力の限りシーズンを走り切ったのだった。その闘魂の中心にいたのがキムテスルである。

 マニラに出発する7月28日、自身のフェイスブックには、2002年にアジア競技大会で優勝した当時の代表の先輩たちと、現在の代表チームを上下に並べた写真がアップされていた。先輩たちから魂を受け継いだ覚悟が見て取れよう。コメントはたった一言。「Fighting Spirit」――。

 2年8ヶ月という残酷なまでの空白から、たった1年でKBL優勝へ導くまでに這い上がった意地とメンタルの強さはただ者ではない。ポーカーフェイスでチームをリードする裏に隠されたFighting Spirit――“闘魂”の原動力は何か。アジア選手権を前に【①公益とKBL】【②180㎝のガード技術】【③韓国代表】の3部構成から、キムテスル選手が持つマインドに迫ってみた。(インタビュー/2013年7月13日)
 
◆次ページから3ページにわたりキムテスル選手のインタビューを掲載。
 
 
キム・テスル KIM ,Tae Sool  김테술/金泰術

1984年8月13日生まれ(28歳)/180㎝/80㎏/PG/東亜高→延世大→ソウルSK→安養KGC/【経歴】2007年、ドラフト1位でソウルSK入りし、新人王とベスト5をダブル受賞する。2005年、大学3年生で国家代表に初選出。東アジア競技大会(2005年)、アジア競技大会(2006年)、オリンピック最終予選(2008、2012年)に出場。公益勤務による兵役のため、2シーズンもの間コートに立てない試練を味わうが、復帰後の2011-12シーズンにはKGCを初優勝へと導く活躍で再びベスト5に選出された。昨シーズンはファンによる人気賞を獲得。【名前の由来】テスルという名前は韓国でも珍しく、漢字名には「泰=太く大きく、術=知恵・才能・芸術」という意味が込められている。「名前の通り、僕のバスケットは知恵を大事にします。とても気に入ってます」【日本の友人】延世大と青山学院大は定期戦をする間柄。大学時代、春休みを利用して延世大に武者修行(!?)に来た同期の岡田優介と正中岳城とは顔見知り。「岡田と正中は元気ですか?トヨタは強いですか?今度話をしてみたいです」と今秋の日本遠征を楽しみにしている。
 
 

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