ストリートボーラーCHIHIROが誕生するまで [3×3]

CHIHIRO <後編> 3×3日本代表/平塚Connections

ストリートという運命

3対3の新競技「3×3(スリーバイスリー)」の記念すべき初代日本代表に選出されたCHIHIRO(平塚Connections)は、3対3、ひいてはストリートバスケへの誇りを持った選手だ。2回にわたる特集の後編は、ストリートに魅せられた人間が、そこにたどり着くまでの道を追った。

文・写真/青木美帆

日本屈指のストリートポーラーCHIHIRO(ちひろ)

ストリートという運命
――ストリートボーラーCHIHIROが誕生するまで――
 
 
CHIHIRO (3×3日本代表/平塚Connections)

3対3の新競技「3×3(スリーバイスリー)の記念すべき初代日本代表選手に選出されたCHIHIRO(平塚Connections)に
焦点を当てた特集の後編。ストリートに魅せられた人間が、そこにたどり着くまでの道を追った。

※3×3(スリーバイスリー)=2012年に誕生したFIBA(国際バスケットボール協会)公認の3対3競技。
2020年までのオリンピックの正式種目を目指している。
 
 

「ぶち抜いて決めるのが一番かっこいい。
俺はやっかいですからね。とにかくしつこい。勝つまでやる」

「1対1の鬼」の原点

バスケットを始めた原点である「背番号9」を背負ってコートに立つ

 CHIHIROは幼少期から思春期の入り口を、瀬戸内海に浮かぶ小さな島で過ごしている。小学校の生徒数は6学年で40人少々という環境でバスケットを始めたのが、小学4年生のとき。ミニバスのチームも、ましてや指導してくれる大人すらいない島の少年の教科書は、言わずと知れた「SLAM DUNK(井上雄彦著/集英社)」だった。

 特に心を奪われたのは物語の終盤、流川楓と沢北栄治が繰り広げた激しい1対1の応酬だった。みずからの能力に絶対的な自信を持つスーパーエースの、意地とテクニックを駆使した死闘――。CHIHIROが大学時代から使用している背番号「9」は、沢北に憧れた幼少時代の記憶も理由の一つだという。そういえば、彼の風貌はどことなく沢北に似ていなくもない。

 ひたすら仲間と1対1を繰り返した。「ぶち抜いて決めるのが一番かっこいい」。それがCHIHIROの原点であり、未だ薄れることのない哲学である。

 事実、3対3におけるCHIHIROのプレーは、現在でも大半が1対1だ。CHIHIROがボールを持って相手と正対すると、観客も相手チームも、誰しもが同じ予測をする。「ドライブで抜いて、レイアップシュートだ」。その予測はほぼ外れることない。しかし観客はCHIHIROの一挙一投足から目を離せないし、相手は彼を止められない。もはや職人芸の域まで高められた1対1だ。

 中学生になると、1対1への憧れが実質を伴うようになる。中学2年生に進級する春休みに、CHIHIROは島から横浜の学校に転校した。期待を抱いて入部した都会のバスケ部は残念ながらモチベーションの欠けたチームで、なかなか思うようにプレーに打ち込めない。悶々とした思いを抱えていたCHIHIROに、チームメートから耳寄りな情報が手に入った。「近くのスポーツセンターを19時から解放しているよ」。

 さっそく足を運んだその体育館では、高校をドロップアウトした若者たちがバスケットを楽しんでいた。そしてCHIHIRO少年は一人のプレーヤーとの1対1に、圧倒的に敗れた。

「シュウヘイさんっていう人でした。ま~うまくていい人でしたね」と懐かしげに語るCHIHIRO。この施設は実は19時以降の中学生の出入りを禁止していたが、CHIHIROはむりやり忍び込み、開放日に当てられた週2日、中学を卒業するまで彼に1対1を挑み続けた。「俺はやっかいですからね。とにかくしつこい。勝つまでやる」。最初はいぶかしげな目を向けていたスポーツセンターの職員も、気付けば何も言わずに彼を体育館に通していた。

 果たして一度くらい勝てたか…記憶は正直、ない。シュウヘイさんの本名も住んでいる場所も今となっては何も分からないが、圧倒的な力の差のある相手との1対1で試行錯誤を繰り返したことで、CHIHIROの1対1の技術が飛躍的に向上したことは間違いないだろう。流川が沢北と、沢北が父親との1対1で大きく成長したように。
 
 

運命を変えた1つの試合

絶対に来るとわかっていても止められない1対1こそが、CHIHIROの哲学であり、原点

 それだけバスケットが好きで好きでたまらなかった少年も、中学、高校と、世間から見た大きな結果を残すことはできなかった。一般入試で東海大学に進学し、名門バスケ部の門戸を叩いたが、Aチームで脚光を浴びることは一度もなかった(当時の東海大には、一般入試組は全員Bチーム固定という慣習があった)。学校職員という安定した就職先も手に入れ、あとは卒業を待つばかりとなった大学4年生の年明けに、CHIHIROはバスケ人生を変える、もう一人の恩人と出会うことになる。

「俺らの学年だけでクラブチームを作って地域のトーナメントに出たんですよ。それをテルさんが見ていて、俺のプレーをおもしれーなって思ってくれて。『お前を中心にしてチームを作りたいんだ』って話を持ちかけられて…。で、今に至るわけです」

「テルさん」というのは、CHIHIROが所属する「平塚Connections」代表の照沼明啓のことである。東海大バスケットボール部のOBで、CHIHIROとは年の離れた先輩後輩関係にあたる。折しも5対5の屋外トーナメント「ALLDAY(オールデイ)」が始まり、ストリート人気が再燃しつつあった時代。ALLDAYで結果を出しつつ、継続的に大会に出られるストリートのチームを作りたい。そのためにはしっかりプレーができて、かつ独特な雰囲気を持った選手をコアメンバーに据えたい――。

 そんな思いを漠然と抱いていた照沼に、親交のあった東海大のマネージャーから連絡があった。「現役の試合を見に行きませんか?」。照沼が久しぶりに足を運んだ試合、それがCHIHIROの出場したゲームだった。

 照沼はその時のCHIHIROの印象を振り返る。

「ドライブばかりでジャンプシュートがないっていう人が多いじゃないですか。でも彼はそうではなかった。だから、あれ、これはちょっとあんまり見ない選手だなと。華も出てきそうだし、彼はいいな。そんな感じです」

 彼を中心にチームを作ろうと決めた照沼は、その後も何度かCHIHIROの出場する試合に足を運び、チームに誘った。「大会に出たいから、メンバーになってくれない?」。CHIHIROは卒業後、クラブチームの強豪・横浜ギガスピリッツでプレーすることになっていたが、一度きりの参加という認識で申し出を快諾した。

 ストリートバスケの人気チーム平塚Connectionsも、日本屈指のストリートボーラーCHIHIROも、照沼が見た一試合がなければ誕生しなかったのかもしれない。何のてらいもなく、照沼は言う。

「千尋くんとの出会いがあったから、チーム作りの本格的なビジョンが見えてきた。事実です」
 
 

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