アメリカに渡った田渡凌の今と学生へのメッセージ [海外]

田渡 凌オーロンカレッジ

田渡凌からの伝言

田渡凌、20歳。レベルアップを求めてアメリカへ渡った青年は、葛藤と奮闘を繰り返しながらも前に進もうとしている。田渡凌が自身の経験を踏まえ、これから進路を決める学生へ、そしてインターハイで優勝した京北高の後輩たちにメッセージを送る。彼自身も夢を追う途中ながらも、これまでの人生で学び得た信念から成る言葉には、自分の足で大地を踏みしめながら生きている力がみなぎっている。

文・写真/青木美帆 

田渡凌からの伝言

「自分のピークをどこに持っていくのかを
しっかり見据えないといけない。
だから1日も無駄にしたくない」

 
 

田渡凌(たわたり・りょう)/1993年生まれ、20歳/180cm/G/京北高→オーロンカレッジ(写真提供/田渡凌)

努力できる環境を求めて

 田渡凌が日本を飛び出し、アメリカでバスケットに打ち込む未来を描き始めたのは京北高校(東京)1年生の終わりだった。

「ちやほやされる環境から抜け出したくて。U-18代表でドイツに遠征したときに、全然試合に出られなかったところから練習を重ねて、終盤スタメンをつかんだ経験があった。そういう環境なら自分はもっと努力するし、うまくなれるなって」

 高2の秋、温めていた思いが父であり京北高の監督でもある優氏の耳に届く。優氏は一つの条件を出した。「ウインターカップで『田渡凌ってのはこういうもの』というプレーを見せられなかったら、行かせない」。この言葉に田渡は奮起し、2年生ながら大会ベスト5に選出される活躍でアピールした。

 高校3年の夏、渡米する。知人やコーディネーターのツテをたどって各地でバスケットを見、トライアウトに参加した。ディビジョンⅠの大学と強豪プレップスクールに照準を絞り、最終的にプレップスクールへの進学を決めたのが翌年3月の頭だった。そして7月30日、旅立ち。若き挑戦者の前途は洋々たるものだった。
 
 

予期せぬアクシデント

 驚くべきどんでん返しが起きたのは、入学を間近に控えた8月だった。学校の方針が突如変更になり、推薦入学が決まっていた田渡にも「TOEFL」と呼ばれる英語能力試験で一定のスコア(それもかなりの高得点)を取ることを求めた。

 体が鈍らない程度の練習以外は、すべて勉強に費やした。しかし結果はついてこない。そもそも、英語圏への留学を希望する人が長い時間をかけて準備する試験に1か月足らずで対応しろというのは酷な話だ。最悪1月まで待てば得点によらず入学が可能だと伝えられたが、そのときにはシーズンが半分消化されている。遅すぎる。

 田渡は10月の半ばに「浪人」という決断を下し、今後の対策を練るために帰国した。確かに厳しい環境を望んでのアメリカ行きではあったが、あまりにも予想外すぎる出来事にいきなり足をすくわれた。「あのときは本当に(落ち込んで)死んでいました」(田渡)。失意の帰国だった。
 
 

新たな挑戦、そして大きな成長

オーロンカレッジでは6番手のPGとして出場。コミュニケーションを密にとり、信頼される選手を目指す(写真提供/田渡凌)

 とはいえ、あまり長く落ち込んでもいられない。翌年1月末には再渡米し、午前中はESL(英語を母国語としていない人の英語教育)を履修し、午後は下宿先の主であるワークアウトコーチのスキルトレーニング指導を受ける日々が始まった。4月からは進学候補チームの練習や、スキルキャンプに参加することも増えた。

 とてつもない痛手を追ったことで、田渡の中にひとつ、大きな変化があった。

「もっと自分で知ることが大事だってことが分かりました。無知のまま行ったらこうなる。情報不足だと何かが起きた時にリカバリーができないって…」

 当たり前のことと言われれば当たり前のことなのだが、同世代と比べて圧倒的に与えられ、多くの人間に求められるバスケット人生を送ってきた若者にとっては大きな気付きである。

 進学候補は、当初の進学先だったプレップスクールのコーチと下宿先のワークアウトコーチの力を借りつつ、自分で入念に調べた。入学試験の内容、学費、留学生に対する奨学金の有無――。チームの練習に参加したときは、自分のライバルとなるポイントガードの実力や、チーム全体の選手層までコーチに細かく問い詰めた。

 そうして彼が選び、無事入学したのがカルフォニア州サンフランシスコにあるオーロンカレッジだ。ジュニアカレッジと呼ばれる2年制の短大で、近年10年間で5度のリーグ優勝を誇っている。

「自分の夢はディビジョンⅠの大学に行って全米トーナメントに出ることです。ジュニアカレッジは学費が安くて、トランスファー(転校)しやすいのが魅力でした」

 2年制のジュニアカレッジから4年制大学へのトランスファーは、アメリカのバスケットボール文化では当たり前の選択肢。事実、岡山学芸館高(岡山)に在籍していたセネガル人選手、モリス・ンドゥールが、ニューヨークのジュニアカレッジからNCAAディビジョンⅠの強豪校・オハイオ州立大にトランスファーしている。オーロンカレッジのチーム案内でも4年制大学へのトランスファーの多さを大きくアピールしているし、コーチたちが十分な手助けを行うということも記されている。

 ディビジョンⅠの強豪校では文武両道が義務付けられており、成績が奮わない選手は試合に出場できない決まりがある。まだ英語が十分でない田渡にとって、比較的学力に余裕のあるジュニアカレッジで読み書きのしっかりとした基礎を身に付けられ、バスケットでも結果を出せる環境は願ったりかなったりだ。チームメイトもトランスファーを狙う野心に満ち溢れた選手ばかり。切磋琢磨の中でのステップアップをはかる。

 11月7日開幕したシーズンを、田渡は6番手のポイントガードとして奮戦している。ネット中継で数試合を観戦したが、海外に出た日本人選手が多く痛感するという体格差(特にフィジカルコンタクト)に苦戦している様子はそれほど見られなかった。マークマンに激しくコンタクトされても吹っ飛ばされることなく、体を当て続けて守っている。日本にいるときから専門コーチの下でトレーニングを積んできた成果の賜物だろう。

 また、特に印象的だったのはベンチでもコートでも積極的にチームメートとコミュニケーションを取る様子だった。渡米前から読解力や記述力はさておき、コミュニケーションの面ではほとんど心配していないと話していた田渡。年上や外国人に対しても臆せず接せられる人懐っこい性格は、実際に大いに役立っているようだ。
 
 

1年に込められた葛藤

叫び声を上げた近くの河原。田渡凌は日々戦っている(写真提供/田渡凌)

 今年夏、帰国中の田渡と会った。アメリカの良くも悪くも大らかな環境に肌身をさらされ続けたせいか、いい意味で角が取れて泰然自若とした様子が印象的だった。この1年について話を向けると、即座に「最悪の1年だった」と一言。この「最悪の1年」のほとんどを、田渡は歯を食いしばってたった一人で生きてきた。

 昨年の夏、入学の手違いが判明した数週間は学校の体育館で練習できず、毎日近隣のストリートコートでシュートを打った。「日本の人が、俺がこんなところでバスケしてるところを見たら笑うだろうなって。『何してんだ』って…」。深い木々に囲まれたそこで一人、言葉にならない叫び声を上げることもあった。

 シリアスな5対5からずっと離れていることもたまらなく不安だったし、大学の練習に参加して何一つ自分らしさを発揮できずに帰ってくることも何度もあった。しかし、ブログやツイッターでネガティブなことはまったく発信しなかったし、両親にすら弱音は吐かなかった。

 かつて全国大会や代表活動で切磋琢磨したライバルたちは、それぞれの所属チームで奮闘の日々を送る。トランスファーが実現し、4年制大学をストレートに卒業したとして、田渡はそのとき24歳になっている。焦らないわけがない。

「時間もないし、自分のピークをどこに持っていくのかをしっかり見据えないといけない。だから1日もムダにしたくない」

 人生は長くない。アスリートのそれはよりいっそう短い。嬉しいことはもちろん、悔しいことも悲しくてやりきれないことだって何一つこぼすわけにはいかない。別れるとき、田渡は言った。「何かを為すまでは絶対に(日本に)帰らないと決めています」

 いのち短し、戦え若人。すべてを吸収し、貪欲に養分を吸い上げた末に咲く美しい花は、どんな色なのだろうか。
 
 

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