bjリーグ2011-2012開幕 [bj]

青木康平大阪エヴェッサ

リーグ随一の日本人スコアラーが語る「移籍」と「優勝への思い」

震災の影響により、まさかの活動休止発表から約3ヶ月半──。bjリーグを代表するスコアラー青木康平が「古巣、東京への想い」、そして「新天地、大阪での意気込み」を語る。

文・写真/鈴木栄一  Text ・ Photo/Eiichi Suzuki

bjリーグ創設時より、リーグを代表する看板選手として活躍してきた青木康平

3月11日に発生した東日本大震災は、バスケットボール界にも大きな影響を及ぼし、bjリーグにおいても仙台89ers、埼玉ブロンコス、東京アパッチの3チームが昨季、シーズン途中での活動休止を余儀なくされた。

特に仙台は甚大な被害を受けた被災地であり、休止が決まった直後からこのままチーム解散となる危機が報じられた。しかし、最終的には存続を求める2万人以上の署名が集まるなど多くの人々の支援を受け今シーズンもリーグへの継続参戦が決定した。

  仙台が震災を乗り越え今シーズンも戦っている一方で、スポンサー集めが難航しての資金不足を理由に、7月6日、まさかの2011−12年シーズン活動休止を発表したのが東京だった。その結果として、本人たちの意思に関係なく東京の選手たちは移籍を強いられることに。それはbjリーグ随一の日本人スコアラーで、名実ともにリーグを代表する看板選手の一人、青木康平であっても同じだった。

 そんな青木選手に東京のシーズン活動休止を振り返ってもらうとともに、新天地として大阪エヴェッサを選んだ理由、今シーズンにかける意気込みを伺った。(取材日、10月23日)

大阪を選んだのは優勝に近いチームであるから

かつては因縁対決の相手だった大阪への移籍を決めた。「これも巡り合わせ」

――まず、東京が今シーズン活動休止すると分かった時の心境を教えてください。

これはアパッチの選手全員が同じだったと思いますが、今シーズンに参戦しないという選択肢を会社が持っていることをまったく予想していませんでした。僕たちとしては運営会社が変わるけど、アパッチは残るという意識でした。普通に考えたら、プロリーグで東京にチームがないのは不思議なことですし、活動休止を聞いた時は愕然としました。

昨シーズン、震災の影響で途中から活動できなかった当時、一番、辛かったのは自分たちが、休んでいる間もリーグでは土、日に試合が続けられていることでした。それをどうにか受け入れたのに、今シーズンの活動休止という知らせだったのでショックは大きく、精神的に落ちる所まで落ちましたね。

――何故、大阪エヴェッサを移籍先に選んだのですか?

大阪を選んだのは、チャンピオンになることを考えてです。例えば新規参入チームは、色々な可能性を秘めていると思います。しかし、僕のバスケットボール人生において今、自分が一番求めているのは優勝です。これまでずっと東京で優勝したいという気持ちを持ってプレイしていましたが、その選択肢がゼロになり、東京から出なければいけないという状況となりました。そこで優勝できる可能性の高いチームに行きたいと、大阪を選びました。

――青木選手にとって、大阪といえばリーグ3年目のシーズンにプレイオフのファイナルで激突した時、開始早々に負傷退場。また、レギュラーシーズンでもブザービーターでの勝利など、多くの激戦を繰り広げていた因縁の相手という印象があります。

やはり、大阪はどこまでいってもライバルという思いもあったので、最初は「まさか」という気持ちも正直ありました。しかし、震災など色々な流れがあった中でのこれも巡り合わせで、大阪に入ったことも自分のバスケットボール人生の一部なんだろうと今は思います。そしてこの流れの中で優勝したいですね。

――では、大阪で自分が求められる役割は、どんな部分にあると思っていますか。

まずは、ゴールにアタックしてフリースローをもらうことです。今日(23日の琉球ゴールデンキングス戦、オーバータイムの末に大阪が74-65で勝利)はファウルゲームがあったとしてもフリースローを10本打てたのはいい数字だと思います。また、今までの大阪はピック・アンド・ロールを使って攻める印象が余りありませんでした。そこで僕が入ることで、ピック・アンド・ロールからの展開といったオフェンスのバリエーションを増やし、そこから得点を取っていきたいですね。例えば自分が守る側になった時、竹野選手(ライジング福岡)、並里選手(琉球ゴールデンキングス)のようにピック・アンド・ロールが上手な選手は、守りにくく脅威と感じます。だからこそ自分は、この部分で大阪に貢献できると思っています。

――今回、琉球とは2試合連続で接戦と、青木選手にとっては震災以降、約半年ぶりの久しぶりのタフゲームだったと思いますが、どんな感触でしたか。

一言で言うと楽しかったです。改めて僕は、こういうゲームが好きなんだと感じました。ただ、そうは言っても本当にタフゲームはかなり久しぶりだったので、そういうメンタルで臨めるように凄く集中していました。

元東京のチームメイトたちと対戦するのは楽しみ                     

10月22、23日の沖縄戦では、並里成とのマッチアップに注目が集まった

――プレイ以外の面で、自分の役割として意識していることはありますか。

去年、東京では新しいHC(ボブ・ヒル)が来て、システム、自分の使われ方も変わって苦労しました。そんな自分を見てチームメイト、友人たちが色々と励ましてくれましたが、その中でも最も心に響く言葉をかけてくれたのが、アメリカ人の同僚マイケル・シャペールでした。彼は僕が悩んでいるのを見て心配し、アウェーの遠征中に部屋にまで来てくれ相談に乗ってくれたりしてくれたんです。アメリカ人選手ですが、一生付き合いたいと思うくらい彼はよくコミュニケーションを取ってくれました。 こういったサポートを受け僕もいい年(今年の12月13日で31歳)ですし、今度は自分がシャペールのようにチームメイトを助けていけたらと思います。

良いチーム、チャンピオンになるチームは、みんなが絶対一つになっていると思います。優勝はその延長戦にあるもので今、僕らにとって大事なこと、築き上げていく必要があることはチームとしてのまとまり。だから今は問題ないですが、もし、チームの和が乱れたりした場合は、それを修正できるよう積極的に発言していきたいですね。大阪はHCもアメリカ人で、アメリカ人選手が多いチーム。そして僕は、これまでほとんどアメリカ人HCの下でプレイしており(昨季までの6年間の内、5年間アメリカ人HCの下でプレイ)、むしろ彼らのスタイルに慣れています。

ただ、一方で文化の違いなどを感じる日本人選手もいると思います。僕はこれまでの経験から両方の気持ちを理解できますので、彼らの間を取り持つではないですが、チームの一員としてこのチームが1つになるために自分がどうしたらよいのかを常々、考えています。

昔はそういう思いはまったくなく、リーグに入った当時は自分が活躍することだけを考えていました。チームというのものが、何なのか分かっていなかったです。それが色々な人に救われたことで、今はチームがまとまるために力を尽くしたいと思うようになりました。

――これから東京のチームメイトたちと敵として戦うことになります。彼らと対峙するのは、特別に意識するものですか。

アパッチのチームメイトとの対戦は、意識はしますね。例えば純平(仲摩純平、現在は島根スサノオマジック)はずっと一緒にやってきましたし、(初年度から昨季まで6年間チームメイト)今でも連絡をよく取り合う本当に家族みたいな存在。彼がコートで活躍するのは僕の励みになりますし、僕が頑張ることで彼の励みにもなると思います。彼と同じコートに立つことは、凄く魅力的ですね。また、彼以外のアパッチのメンバーと対戦する時も、違和感というよりも楽しめます。彼らの試合もよく見ていますが、みんなが得点を決めるのを見るとやはり嬉しいですし、励まされ僕も頑張ろうと思います。

――震災の影響により、不本意な形でコートを離れざるを得ない状況から今、こうして再びプレイできるようになり、バスケットボールに対する思いが変わったことなどはありますか。

震災でチームが活動休止となった後、被災地の避難所を訪れバスケットボールをした時ですが、僕が誰かも知らなかったり、普段はバスケットボールをしていなったりする子供たちにも凄く喜ばれ、来てくれてありがとう、今度試合を見に行きますなど言われて逆に元気をもらいました。この体験があってから今まで以上に自分が好きなバスケットボールをして生活でき、お客さんに応援され、プロ選手としてコートに立てていることは、感謝という言葉に尽きると思うようになりましたね。今の自分はどれだけ恵まれているんだろうと、本当に感謝しています。

――最後に東京、そして大阪のファンなど、青木選手を応援している人々へのメッセージをお願いします。

6年間、ずっと東京アパッチを応援してくれた方々は僕らと同じ気持ちであり、散らばってしまった選手たちのことを応援してくれると思っています。今日も東京からわざわざ来てくれた方もいました。ブログ、ツイッターでも東京のファンの方がコメントをくれていますが、こういったみなさんの声援には常々、感謝しています。そして大阪のブースターも含め、自分が頑張ることでみなさんに良かったと思われるように、周囲のサポートに感謝しながら、コートで一生懸命プレイする姿を見せたいと思っています。
青木康平 Kohei , AOKI
1980年12月13日生まれ/30歳/大阪エヴェッサ/167㎝/G/福岡県出身/長丘中→福岡大附大濠高→専修大卒/長丘中、専修大で優勝に貢献。FAR EAST BALLERSを経て、bjリーグ創設時より東京アパッチの主力として活躍。2011-12シーズンより大阪に移籍。ハンドリング技術、1対1のセンスにあふれたbjリーグ随一の日本人スコアラー。愛称は「COHEY」。