JBL引退セレモニー [JBL]

古田 悟元トヨタ自動車アルバルク

ハードワーカーが後輩たちへ託した「戦う姿勢」

2010-11シーズンをもって現役にピリオドを打った古田悟。2011年10月15日、ホーム開幕戦にて引退セレモニーが行われた。常に体を張り続けてきた古田悟が語る日本のバスケットボール界への熱きメッセージ。

文・写真/小永吉陽子 Text ・ Photo/Yoko Konagayoshi


古田 悟 引退セレモニー

ホームコートで感謝と新たな旅立ちを報告

背番号「45」の入ったスタジアムジャンバーが贈られた

どんなときも体を張り続けた古田悟のタフな攻防は、ファンの心に深く刻まれている――。

 トヨタ自動車アルバルクのホーム開幕戦を終えた10月15日、郷土の森総合体育館(東京都府中市)にて、古田悟の引退セレモニーが行われた。JBLで17年間(三菱11年、トヨタ6年)、日本代表で13年間、長きにわたり第一線で戦ってきた古田悟が引退を表明したのが、今年の4月。アルバルクのホームページ内でのことだった。震災の影響でシーズンが途中で終了してしまったために、「感謝」の気持ちを伝えたかったファンは大勢いたことだろう。セレモニーでは、古田悟の人柄を表すような温かい雰囲気に包まれた中で、チームメイトやファンから感謝の気持ちが伝えられた。

 愛工大名電高、日本体育大で日本一を経験し、1994年に三菱電機に入団。JBL在籍17年間の中で、トヨタでプレイしたのは最後の6シーズンだったが、トヨタに移籍初年度の05-06シーズンに、自身JBLで初となる優勝を経験した。人目をはばからず「男泣き」した姿はファンの脳裏にやきついていることだろう。また、古田悟といえば、2006年に日本で開催された世界選手権で務めた寡黙なキャプテン像が強く印象に残る。誰よりもタフに泥臭く、世界の強豪に体を張り続けたハードなディフェンスは、「こうあるべき」という日本の戦い方を示してくれたものであり、今後に受け継がれてほしい魂のプレイだった。

 引退セレモニーでは、背番号「45」の入ったスタジアムジャンバーとユニフォーム、チーム全員のサインが入ったユニフォームバナー、2冠を達成したときの記念ボールが贈呈され、応援団からはエールが贈られた。今後については挨拶の中で「大学の指導をする」と語られたが、詳細は11月以降に発表するという。ユニフォームを脱いだ古田悟から、ファンとチームメイト、そして今後の日本を背負う選手たちへ贈るメッセージをここに紹介する。

今季の優勝を託された正中キャプテン

正中岳城
「フルさん、長い間お疲れ様でした(会場から盛大な拍手)。フルさんとこのアルバルクでプレイできて本当にいい思いしかありません。ほんと、ちっちゃい頃から憧れた選手と一緒にコートに立てて、本当に楽しい時間でした。フルさんから教えてもらったもの、そしてチームに残してもらったものを大切にして、シーズンを全力で戦っていきたいと思いますので、どうぞ見守っていてください。そして、これからのご活躍をお祈りしています。本当にありがとうございました」

古田 悟
「こんばんは。今回はこんなに素晴らしい式を開いていただいてありがとうございます。本当に感動しています。泣くのは……ちょっと我慢しますけど、本当にうれしいです。今日はトヨタの強さを皆さんに見てもらったと思うんですけれど(リンク栃木に80-49で勝利)、絶対に優勝できるチームだと思うので、今シーズンも応援してください。

 僕自身ですが、ユニバでアシスタントコーチをやらせてもらって8月まで頑張ってまいりました。今後は大学のほうでコーチとして頑張っていきます。チームの発表は…11月過ぎには発表できると思うので、その時にはアルバルクのブログなり、あまり更新されない岡田(優介)のブログに載せますので(会場爆笑)。頼むよ、岡田!(笑)  これからも頑張りますので、古田悟とアルバルクを応援よろしくお願いいたします。本日はありがとうごいました」

 

古田 悟インタビュー

「強い気持ちで戦う!」と言えるだけのものを
みんなが磨いていけたら、日本は強くなれる

「感動して泣きそうだった」という心境で語られた最後の挨拶

――引退セレモニーを終えて、今の心境は?

  あんまりこういう経験がないので、まあ、経験がないのは当たり前なんですけど(笑)、すごい緊張したけど、うれしかったです。(引退発表から)ちょっと期間は空いてしまったので照れてしまうんですけど、僕自身、こういう終わり方は「らしくない」のかなと思ったんですね。ただ、皆さんにセレモニーをやっていただけるということで、今日は参加させてもらったんですが、すごく良かったです。ほんとうれしいです。

――らしくない、というのは?

 えっ、だってね(笑)

――セレモニーをやってもらう“キャラ”ではないということですか?

 そうです。知らない間に消えるのが僕の理想だったから(笑)。まだ引退したことも知らない人がいて、この前も大学の試合を見に行ったら「今シーズンも頑張ってください」と言われて。あー引退したの知らないんだなあと。否定はしなかったんですけど(笑)

――ならば、なおのこと、ファンに報告する場がほしいですよね。ファンもきっと感謝の気持ちを伝えたかったはずです。

 そうなんです。区切りをつけるために、皆さんの前で挨拶ができたのは良かったと思います。本当にありがとうございました、という気持ちです。

――トヨタのメンバーに伝えたいことは何ですか。

 今のトヨタの連中、とくに岡田、正中には自分がいる間に優勝をさせてあげられなかったのが、自分の中ですごく悔いが残っていることなんです。今年はすごくいいチームなので優勝できる可能性があると思うので結果を出してほしいですし、出せると思っています。これからもトヨタを応援しますし、(古巣の)三菱も、ですね(笑)

 みんなには「トヨタの印象のほうが強い」と言われてますけど、僕は三菱にもお世話になったので、トヨタも三菱も応援しています。トヨタには6年しかいなんですよね。6年しかというか、そんなに長い期間ではなかったですけど、トヨタの6年間はすごい濃くて、6年が10年以上にも思えました。自分にはなかった優勝というのを経験させてくれたのはトヨタなので、思い入れは強いです。

セレモニーで古田悟氏を見送るトヨタの選手たち

――セレモニーの最後に、世界選手権を一緒に戦ったリンク栃木の網野、川村両選手が挨拶にきました。今後の日本代表や若い選手たちに託すことは。

  タレントはかなり揃ってきていると思うけど、今の日本代表に足りないものは、僕が思うのは技術的なことではなく「戦う姿勢」だと思います。戦う姿勢というのをもっと見せてくれたら、アジア選手権でももっと違う結果になったと思う。優勝するかどうかというより、7位という結果を見ても、もっと上に行けたと思う。今回僕はユニバに関わらせてもらって12位という結果でしたけど、気持ちを強く持てば、もっと上にいけた可能性があると思う。もっと気持ちの面で戦えると思うので、伝えたいのはそこですね。

――現役時代、古田悟の「戦う姿勢」はどこから湧き出てきたのですか。

 僕自身、能力があったわけではないから。そこ(気持ち)しかなかったから。そこを一生懸命にやればということでやっていたから。今の選手は能力もあるし、技術もある。自分は選手を辞めたけれど、戦う気持ちを出してバスケをやれと言われれば、今の時点でも僕のほうがやれる自信がある。まあ、運動はしてないですけどね。そこの部分では自分でも自信があるんですけれど。そう言えるだけのものをみんなが磨いていけたら、もっと日本はレベルアップしていけると思います。

 

網野友雄(リンク栃木ブレックス)

寡黙で人一倍ハードワーカー
古田さんのキャプテン像が目標 

対戦相手、リンク栃木の網野、川村選手も感謝の気持ちを述べた。2006年の世界選手権をともに戦った仲間

「今日は古田さんにお疲れ様と言いたかったし、古田さんの最後の姿を目にやきつけておきたかった。チームメイトからもファンからも祝福や御礼を言われている姿も見ておきたかったので、最後まで残らせてもらいました。

 古田さんとはトヨタでは入れ違いで一緒にプレイはできませんでしたが、日本代表では寡黙な人で、人に対して何かを言うことはほとんどなかったですけど、人一倍ハードワーカーで、チームがいいときも悪い時も、とにかくチームの仕事をきっちりやる人でした。体を張ってディフェンスやって、真ん中を走っていた姿が印象的です。4年間、日本代表で一緒でしたけど、スタートで出た時も、控えで出た時も、年齢を重ねていっても古田さんのプレイは一貫としていました。

 僕自身、今年は日本代表でキャプテンをやりましたが、お手本は古田さんでした。泥臭くチームをまとめる存在に近づけたかどうかは自分が決めることではないですが、まだまだだったと思う。今回はふがいない結果だったので、もう一度…(2年後の)世界選手権の予選を頑張りたいという思いが今はあります」

古田 悟 Satoru , FURUTA
1971年生まれ、40歳。愛工大名電高、日本体育大出身。1994年、三菱電機に入団。11シーズン三菱電機に在籍し、2005シーズンよりトヨタ自動車へ移籍し、移籍初年度にJBL初優勝を遂げる。JBL優勝2回、ベスト5受賞2回、ルーキーシーズンにリバウンド賞と特別賞を受賞。1994年に日本代表入りし、2006年の世界選手権までインサイドの大黒柱として活躍した。