ロンドンへの道――石川幸子 中国奮闘記<1> [海外]

石川幸子WCBA 雲南曲靖立得

日本の速さは生かせる。そのためには対応力と経験が必要

6月25日より始まる世界最終予選の代表選手の名に、石川幸子の名前はなかった。4年前のOQTで夢敗れてから、石川幸子は海外挑戦を通してオリンピックを目指した。2年間を過ごした中国での奮闘記とともに、海外で得た経験を2回にわたってロングインタビューで綴る。<1>では日本と海外のプレイの質の違いを比較する。

文・写真/小永吉陽子


ロンドンを目指したもう一人の日本人戦士
すべてはロンドンのコートに立つための海外挑戦だった――

「日本は何が足りなかったと思うか。これからすべきことは何か」――

 2008年6月、日本女子代表は、世界最終予選にて北京オリンピックのチケットを逃した。敗れた直後、石川は記者たちに囲まれ、日本に足りなかった点について聞かれ、言葉に詰まってしまった。日本と世界は確実に差がある。しかしその差は何なのか、確信を持って言うことができない自分に気がついた。

 自分は、日本は、このままでいいのだろうか――

 答えを見つけるべく、石川が行動を取ったのは「海外リーグへの挑戦」だった。行く先はそのアグレッシブなスタイルに憧れを抱いていたスペイン。12シーズン在籍したシャンソン化粧品を退社して、スペインに渡ったのは2009年春のことだった。

ホームは曲靖市体育館。専用アリーナではなく市の施設を使用。5000人収容

 スペインでプレイすることは容易ではなかった。以前、日本代表のスペイン遠征に通訳として帯同した岩瀬裕子氏を頼り、自身のプレイを編集したDVDを作成し、スペイン1、2部全チームに売り込みをかけることから開始。夏には1部リーグに所属する「イビサ」から練習生として声がかかり、スペインでの生活がスタートする。シーズン途中には2部リーグの「コンケロ」からオファーを受け、2010年2月からシーズン終了までプレイ。そして、日本代表の活動を続けながら、一昨シーズンと昨シーズンの2シーズンは中国プロリーグ(WCBA)に籍を移し、雲南省にある「雲南曲靖立得(うんなん・ちゅうじん・りっとく)」でプレイをした。

 すべてはロンドンのコートに立つため。4年前、答えを見つけられなかったその日から、石川は自分で考え、動き、壁にぶつかりながら、答えを模索し続けてきた。

 だが、オリンピック世界最終予選に出場する日本代表候補に、石川幸子の名前はなかった。石川のオリンピックへのチャレンジは、WCBAのシーズン終了とともに、幕を閉じることになった。

 オリンピックに出るために「海外で経験を積む」という道を選んだとすれば、石川の3年間にわたる海外チャレンジは、個人的には結果に結びつかなかった、ということになるだろう。

雲南のホームコートに飾られてある応援バナー。背番号は「20」

 しかし――海外に挑戦したらそれで終わりではない。その先につなげてこそ、パイオニアとしての価値があるのだ。石川が歩んだ異国の地での経験を、多くの人に伝えることができたならば、それは日本のバスケットボール界が発展していくうえでかけがえのない財産になる。

 今年1月、石川が生活を送る雲南省へと飛んだ。東南アジアにほど近い昆明空港から、烏蒙山脈を眺めながら車で移動すること西に200キロ。標高2000メートルの高地に石川が所属する雲南省曲靖市(うんなん省ちゅうじん市)」はあった。鉱山業を主とする貧富の差が激しい田舎町。お世辞にも綺麗とはいえない発展途上のとある田舎町に、石川幸子の名前はあった。

 彼女もまた、ロンドンオリンピックに挑戦した日本人戦士だということを、ここに刻んでおきたい。
 
 
<WCBA 2シーズンの平均スタッツ>
2010-2011
20試合出場/12チーム中7位/プレイオフ1回戦敗退
■得点/7.6点 ■フリースロー/81.63%、■2P/45.39% ■リバウンド/3.2本 ■アシスト/2.2本 ■スティール/1.7本

2011-2012
22試合出場/12チーム中9位
■得点/9.8点 ■フリースロー/83.33%、■2P/51.56% ■リバウンド/2.6本 ■アシスト/2.1本 ■スティール/1.5本
■出場時間/31分55秒

<WCBAの試合方式>
レギュラーシーズン/22試合
プレイオフ1回戦(ベスト4決め)/3戦2先勝
セミファイナル/3戦2先勝
ファイナル/5戦3先勝

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