バスケ界を沸かせた女子高校生 長岡萌映子ロングインタビュー [高校]

長岡萌映子札幌山の手高3年

「日本代表に恥じないプレーを、という思いはずっとありました」

日本女子バスケットボール界の将来を背負う逸材・長岡萌映子。この春、札幌山の手高を卒業し、富士通レッドウェーブの一員になった。その図抜けた勝負強さで、高校最後のウインターカップでは2年連続の優勝を遂げ、インターハイで流した悔し涙を笑顔に変えた。「日本代表での経験が大きかった」と語る長岡に、様々な経験をした高校3年のシーズンと今後の抱負を聞いた。

インタビュー・文/舟山 緑  写真/高野 洋、一柳英男

長岡萌映子の高校3年間
(札幌山の手高 → 富士通)

「日本代表に恥じないプレーを、という思いはずっとありました」

日本女子バスケットボール界の将来を背負う逸材である長岡萌映子。
この春、札幌山の手高校を卒業し、富士通レッドウェーブの一員となった。
その図抜けた得点能力は超高校級で、
昨年は日本代表としてもそのポテンシャルの高さを見せつけた。
高校最後の大会となったウインターカップでは2年連続の優勝を遂げ、
インターハイで4強に終わった悔し涙を、最高のうれし涙に変えた。
「日本代表での経験が大きかった」と語る長岡に、
様々な経験をした高校3年のシーズンのこと、そしてこれからの抱負を聞いてみた。(全6ページ)
 
 

北東北(秋田)インターハイ ベスト4

「インターハイは、イラついて自爆してしまったのが大きな敗因に」

長岡にとって高校3年の1年間は、日本代表との掛け持ちで超多忙だった。悔し涙を流したインターハイからウインターカップへの成長、日本代表のことなど、自分の言葉でインタビューに答えてくれた(写真/舟山 緑)

 長岡は昨年3月に日本代表候補に選ばれ、高校3年となった4月からは代表活動でチームを留守にすることが多かった。5月から始まった強化合宿は、国内合宿に加えてスペイン・ギリシャ遠征、オーストラリア遠征をこなし、8月のロンドンオリンピックアジア地区予選までの間に札幌に戻れた日は数えるほどだった。

 当然、札幌山の手でのチーム練習にもほとんど参加できないまま、秋田でのインターハイに臨まざるを得なかった。代表合宿を抜け出してチームに合流したのは大会の直前。準々決勝で桜花学園高を破って準決勝へと勝ち上がったが、大阪薫英女学院高のゾーンにうまく守られてしまい、無念の敗退となった。試合後、取材陣に囲まれた長岡は悔し涙をボロボロ流し、質問に答える声が聞き取れないほどだった。

 そのインターハイを控えた7月15日には、ロンドンオリンピックアジア地区予選を戦う最終メンバー12名が発表され、長岡は見事にそのメンバーに選出されていた。
 
 
――昨年は4月から日本代表の活動が始まり、5月からは合宿や海外遠征が続きました。札幌に戻れる日がわずかな中で、インターハイの北海道予選などを戦ったと思いますが、戻れたのはどれぐらいありましたか。

合宿の期間にもよりましたが、1カ月に3日ぐらいでした。いつも1日か2日オフをもらい学校に出ていました。3日以上あれば調整のために山の手の練習に出ましたが、3日しかないと練習にも出られなくて。最終の選考前はオフが5日か6日あったので、2日休んであとの3日は練習に入れるところは入ってという感じでした。北海道予選のときは代表合宿を抜けて1泊2日で北海道に戻り、試合をして、その日のうちに代表合宿に戻るという感じでした。

――代表と山の手の練習は全く違うと思いますが、その切り替えは難しかったですか?

合宿と合宿の間の調整はいつもどおりこなしましたが、大会があるときの気持ちの切り替えは本当に難しかったです。代表では一番下だから思い切りやるのはすぐに出来ましたが、代表から山の手に戻って自分が一番先頭に立ってやらなければならないときは、その気持ちの切り替えできつい部分がありました。

――インターハイは直前の合流でしたね。チームでの合わせなどはすんなりとできたのですか。

準々決勝の桜花との試合までは、周りのチームを下に見ている訳ではないのですが、大体、自分が得点を取るか、個人プレーでいけた部分があります。桜花戦では私も怒られたし、みんなも怒られましたが、何とか気持ちを切り替えてプレーができました。でも、準決勝の薫英戦では相手のゾーンに対してチームでの合わせが必要だったのに、それができませんでした。できない自分にイラついてしまい、自爆してしまったのが大きな敗因でした。

――あの試合は薫英にうまく守られましたね。

そうですね。私は大きくても、もう一人のセンターは小さいので、薫英のセンター2枚に囲まれてしまうと全然できなかったです。私を抜きにして他のメンバーがゾーン・アタッキングを練習していても、私が起点となり試合をしないといけないので、結果、合わないというか、みんなもチグハグになっていました。そこでもっと落ち着いてプレーできていたら違っていましたが。一昨年もゾーン・アタッキングはやってきたはずなので、そこで切り替えることができたらよかったですが、それができなかったです。

札幌山の手はガードが弱いという弱点をかかえ、8月のインターハイでは準決勝で敗退。しかし、ウインターカップではチームワークで激戦を制してきた

――前の代の町田さん(町田瑠偉:現・富士通)たちのチームと比べてガードが弱かったから、うまくオフェンスが作れなかったのですか。

そうですね。ゲームを組み立てられないので、ゾーンかマンツーなのかの指示もできず、誰をハイポストに上げるのかの指示も何もできなかったので、全て私がやることになってしまいました。ガードを支えるのも自分だし、ゲームメークもしなくてはいけないし、みんなを精神的にも支えないといけないというのが出てきて、うまくいかなかったです。町田さんたちの代と、そこが大きく違っていました。

――攻めがうまくいかないとフラストレーションもたまります。チームをまとめるために声をかけたりしたのですか。

初戦の2回戦でなかなか自分のシュートが入らず、フラストレーションがたまってしまいました。それがどんどんたまってしまい、チームのみんなにぶつけてしまったという感じです。周りが動かないというよりも、自分が何もできないことのほうが大きかったです。

――みんなにぶつけたというのは、言葉で? それともプレーで?

ゾーンに対して動かなかったもう一人のポストマンにずっと切れていました。それに薫英のオフェンスは畠中選手が外に出て今仲選手のところで大きなミスマッチになってしまい、私がそこでヘルプができないように攻められてしまいました。薫英が120%の出来だったとしても、前半はうちが勝っていたので、薫英を乗せてしまったのが敗因だと思います。

――試合後、すごく泣いていて、取材陣に囲まれてもなかなかコメントが出来なかったですね。

あのときの悔しさは本当に忘れられません。自分が最終12名に選ばれた後だったので、よけいにです。「高校生の代表はこうだ」という模範ではないけれど、代表に選ばれた以上、注目されるので、その中で結果が出せなかった悔しさがすごくありました。周りからは「萌映子がいるから勝てる」と思われていて、そこで結果を出せなかったので、本当に悔しかったです。

自分が何もできず、自爆してしまったという悔いもありました。自分のせいで負けたので、何もできなかった情けなさとか、これで代表に入れてしまうと思われるとか、いろいろ考えてしまって……。代表に入るということはそれぐらい上手いということだから、チームが勝ち上がるのは必然だと思っていました。でも、それを私ができなかった訳だし、決勝は私がいないチーム同士で戦う訳だから、その悔しさがすごくありました。

◆次ページでは「2連覇したウンイターカップ【1】」について語る

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