FIBAアジア復帰7年で達成した36年ぶりのワールドカップ出場
7年間の覚悟が結実した「ギラス・フィリピナス」

文・写真/小永吉陽子

宿敵・韓国に86-79で勝利。地元でワールドカップ出場を決めた

アジア選手権から探るライバル国事情<2> フィリピン編
イラン、フィリピン、韓国はいかにして世界への切符をつかんだか――


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◆アジア選手権大会結果&ベスト5

準優勝――フィリピン
7年間の覚悟が結実した「ギラス・フィリピナス」

2007年「徳島の宣戦布告」から始まった勇敢な集団――ギラス・フィリピナス!

「GILAS」のボードを掲げるファンたちの「ギラス」コールがこだました

「Gilas Pilipinas!(ギラース・フィリピーナス)」――

 試合前の入場シーン。アナウンスの声とともに、選手たちは陽気に、颯爽と入場してはファンに笑顔で手を振り、円陣を組んで気合いを入れ、テンションを上げていく。2万人の観客で埋め尽くされたモール・オブ・アジアアリーナが一気にホームと化し、「僕らの代表」の登場に待ち焦がれていたファンたちのボルテージが上がる瞬間だ。

 アリーナでこだましていた「Gilas」(ギラス)はフィリピン代表のニックネーム。この意味について「俊敏で勇敢な軍団といえばいいかな」と教えてくれたのは、今年6月末に親善試合で来日したフィリピンのクラブチーム、メラルコ・ボルツの主力であり、昨年のアジアカップに出場したジェイアール・レイエス。おまけに「アジア選手権では、フィリピンのファンで2万入るアリーナが満杯になるよ。プロリーグのファイナルも満員になるんだから!」と母国のバスケットボール自慢も付け加えてくれた。

 2万人のファンの声援が後押ししてフィリピンの躍進があったのは言うまでもないが、悲願達成の背景には、代表の現場、フィリピン協会、国内プロリーグ(PBA)の連携なくして、ワールドカップ進出の夢は成し遂げられなかった。

 フィリピンは1985年のアジア制覇を含めて5回の優勝を誇るアジアの古豪だ。「バスケットボールは国技」と胸を張って答える国であったにもかかわらず、協会とプロリーグが対立したことにより、FIBAの制裁によってFIBA主催大会に出場できない時期があった。制裁が解けてFIBAアジア連盟に復帰したのが2007年。昨年から采配を振るい、2007年当時もヘッドコーチを務めていたビンセント“チャット”レイエスは、2007年の開催地・徳島での記者会見にて「我々フィリピンは復活する!」と声高らかに宣言している。その言葉通り、2007年に9位だった順位が2009年は8位、2011年には4位、そして今大会2位と、毎回順位をあげている。まさに、計画的に準備を進めて7年かけてメダルをつかみにきたのだ。
 
 

スマートギラスの発足と、躍進を遂げたトローマンHCの手腕

情熱的な指揮官、ビンセント・レイエスHC。2007年、2013年のアジア選手権、2012年アジアカップでヘッドコーチ。2011年はライコ・トローマンの下でコーチを務めていた

 徳島大会でイランを初優勝に導いたセルビア人のライコ・トローマンHCを招聘した2009年、「ギラス」の名のもとに、世界を目指す代表強化が本格的に始動した。立ち上げ当初のギラスは「2012年のロンドンオリンピックを目指した若手育成機関」(トローマンHC)であり、スマート・コミュニケーションズという会社の援助を受けて「Smart Gilas=スマートギラス」と命名された。スマートギラスはアジアのクラブチームが集結するアジアチャンピオンズカップやジョーンズカップ、海外招待ツアー、海外遠征を慣行し、時には国内のカップ戦等に参戦することもあり、2009年5月には練習試合のために来日したこともある。

 2009年のアジア選手権では8位となって決勝トーナメントに進出する成長を見せたものの、チームとしてのキャリアや高さが足りないことを痛感すると、2010年にはしぶといリバウンドが武器の帰化選手、マークス・ドゥーシット(210㎝、33歳)を迎え入れている。この後、スマートギラスは若手に限らず、有望な選手を集めた代表育成チームへと変わっていく。

 これまでのフィリピンのスタイルは、個人技は得意だがプレーの粗さと練習姿勢に対する甘さがあった。これを、イランを優勝に導いたトローマンHCのモットーである勤勉な練習とアグレッシブなディフェンスを取り入れることで、勝利には結びつかなくとも、大崩れしないチームになった。だが、締め付けてしまっては個性が出てこない。トローマンHCはフィリピンに多くいるアメリカ人とのハーフでフィリピンの国籍を持つ選手たちを多く招集し、身体能力の高さを生かしたチーム作りを心掛けた。

 しかし、フィリピンらしさを打ち出しても、常に行く手を阻むのは試合巧者の韓国だった。2009年アジア選手権の順位決定戦、2010年のアジア競技大会の準々決勝。あと一歩のところで、韓国の巧さや経験の前にフィリピンは涙を飲んできた。最大の壁となったのは2011年アジア選手権。念願の3位決定戦まで進出したフィリピンは、韓国相手に立ち上がりから快調に飛ばして主導権を握った。だが終盤になると韓国に捕えられて大失速。39分間リードしながらも、残り1分間で逆転された悔しい歴史を持つ。オリンピック最終予選の切符を目前にして敗れたとき、選手たちは床にうずくまって立ち上がれなかった。ショックに打ちひしがれて会見に現れたトローマンHCは「我々はこの数年で本当に力をつけて、プラン通りのゲームを行った。しかし、大きな舞台での経験が足りなかった。韓国とはその差…」と敗因を語っていた。

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