オリンピック挑戦の歴史 #1
女子代表、オリンピック挑戦の歴史 1995―1999

文/小川 勝  写真/加藤誠夫 

オリンピックをかけたアジア選手権は毎回壮絶な戦いとなる。1999年、静岡で開催されたアジア選手権。日本は韓国に決勝で3点差で敗れ、シドニーの切符を逃した

 女子のバスケットボールが、オリンピックの正式種目になったのは1976年のモントリオール五輪のことだった。この時は出場6カ国。日本は前年の世界選手権で史上最高の銀メダルを獲得していたため、この実績から、オリンピックに出場している。

 以後、20年にわたって、日本はオリンピックに出場できなかった。

 チャンスがやってきたのは、1996年のアトランタ五輪の時だ。この大会から、出場枠が8カ国から12カ国に拡大され、サッカーのW杯などと同じように「大陸予選」が行われることになったのである。

 この時以来、日本の女子は、オリンピックの出場権をかけて、ライバルたちと大接戦を繰り広げてきた。オリンピックの切符がかかった試合で、日本は簡単に勝ったこともないし、簡単に負けたこともない。それは、日本女子の本当の実力があらわになる、リアルな舞台だ。その歴史を、ざっと振り返ってみたい。

 アトランタ五輪に向けた予選では、1994年の世界選手権で中国が銀メダルを獲得していたため、アジアのレベルが評価され、3枠が認められた。この結果、事実上、中国、韓国、日本、チャイニーズ・タイペイのアジア4強で、3つの椅子を争う形になったのである。

 アジアの大陸予選は、オリンピック前年――すなわち1995年のアジア選手権が、それを兼ねることになった。

<1995年7月・アトランタ五輪アジア地区予選@静岡>
最強メンバーたちがプレッシャーを乗り越え、
20年ぶりにオリンピック出場!

 アジアで3位になればオリンピックに出場できるというチャンスに際して、当時の日本は、史上最強とも言うべきメンバーがそろっていた。主力選手は、加藤貴子、萩原美樹子が2大得点源で、ポイントガードに村上睦子、3ポイントシューターに一乗アキ、そしてセンターの濱口典子、シューティングガードの大山妙子は、当時まだ21歳で、ちょうど代表の主力に育ったところだった。このメンバーでアジア3位というのは、はっきり言って楽な目標に思われた。

 予選リーグが始まると、日本は、中国には敗れたものの、韓国には勝って4勝1敗。この結果、勝敗では中国、韓国と並んで三つ巴となり、予選リーグの順位は、得失点差で決まることになった。結局、4点差で日本は予選リーグ3位となり、台湾との3位決定戦に回った。(※予選リーグ1、2位が決勝へ、3、4位が3位決定戦に回る大会方式だった)

 チャイニーズ・タイペイには予選リーグのとき98―75で快勝していたため、3位で五輪切符を獲得することは「当確」に思えた。

 しかし、実際の3位決定戦は大接戦になった。日本の選手たちには明らかにプレッシャーから固さが見え、前半を終わって38‐41とリードされる展開。一進一退がずっと続いて、日本がリードしたのは第4Qの残り35秒、村上からパスを受けた山田かがりがゴール下でシュートを決め、ようやく66‐65とした。ところが、残り6.5秒で加藤が5ファウル退場、チャイニーズ・タイペイにフリースロー2本が与えられた。2本とも決められれば、再逆転は厳しい状況となった。

 ここで開催国のアドバンテージが出た。満員の客席全体から、すさまじいノイズ。この日、初めてフリースローラインに立ったチャイニーズ・タイペイの黄寛雅は、2本とも外した。

 このあと、残り3.5秒で村上がフリースロー2本を得ると、これを確実に沈めて68‐65。結局、3点差の勝利で20年ぶりの五輪切符をつかんだのである。

 日本はこの試合、フリースローが通算26本で成功は16本だけだった。成功率は61.5%。このあたり、オリンピックの切符をかけて戦うことが、いかに重圧のかかるものであるかを物語っていたと言えるだろう。

<1999年5月・シドニー五輪アジア地区予選@静岡>
たった一枠をかけた戦いは、
決勝で韓国に3点差で敗れる

 アトランタ五輪から一転、シドニー五輪のアジア枠は「1」になった。前年の世界選手権で、アジア勢がベスト8に進出できなかったからである。シドニー五輪に出場するには、アジアで1位になる以外なくなった。

 1998‐1999年シーズンを最後に、萩原美樹子が現役を引退。主力メンバーは加藤貴子、村上睦子、濱口典子、大山妙子に加え、日本リーグ3点シュート成功率1位の常連となっていた岡里明美、そしてまだ22歳ながら日本を代表するフォワードに成長していた永田睦子だった。

 日本は、予選リーグで中国に敗れたものの、韓国には13点差をつけて勝ち3勝1敗。前回と同様に、中国、韓国、日本の3カ国が同じ勝敗で並んだ。しかし今回は、当該3チームが対戦した時の得失点によって、日本が1位、韓国が2位、中国が3位となり、準決勝の組み合わせは、日本―チャイニーズ・タイペイ、韓国―中国となった。

 日本は83‐74でチャイニーズ・タイペイを下して決勝進出。一方、韓国は、残り3分37秒で11点差をつけられて負けていたが、そこから逆転して1点差で中国を下し、勝負強さを見せつけて決勝に勝ち上がってきた。

 決勝は、前半を終えて日本30‐37韓国。後半、シュートの確率がよくない中、終盤は、韓国がゴール下でファウルをもらってフリースローで逃げ切りを図る展開となり、日本65‐68韓国、残り22秒で、日本のスローインとなった。最後のオフェンス、日本は岡里に同点の3ポイントシュートを託したかったが、岡里は厳しく守られ、シュートが打てなかった。大山からボールを受けた加藤が、なんとかディフェンスを振り切って3ポイントシュートを狙ったが、ブザーとほぼ同時に放ったシュートは決まらず、日本は敗れた。

 アトランタ五輪の切符は、3点差でチャイニーズ・タイペイを下して獲得したが、シドニー五輪の切符は、3点差で韓国に負けて逃したのだった。