五輪挑戦の歴史 #2
女子代表、オリンピック挑戦の歴史 2004-2008

文/小川 勝  写真/加藤誠夫、小永吉陽子

<2004年1月・アテネ五輪アジア地区予選@仙台>

仙台の奇跡」――予選リーグの大敗から、
再延長の末に韓国に勝利

2004年1月、仙台で開催されたアジア選手権にて、アテネオリンピックの出場権を獲得

 2002年の世界選手権で日本は13位だったが、韓国が4位、中国が6位と躍進したため、アテネ五輪のアジア枠は、再び3枠となった。

 しかし日本は、2002年の秋に行われた釜山アジア大会で、チャイニーズ・タイペイにも敗れて4位に終わっており、専任監督だった北原憲彦ヘッドコーチは更迭されて、ジャパンエナジー(現JX)の内海知秀ヘッドコーチが、兼任で代表監督となった。

 最終的なメンバーは、楠田香穂里、大山妙子、濱口典子のベテラン3人組を中心にジャパンエナジーから8人と、あとはシャンソン化粧品から永田睦子、江口真紀、日本航空から薮内夏美、矢代直美という12人だった。

 五輪予選が始まると、日本は予選リーグで中国に21点差、韓国には32点差で敗れ、チャイニーズ・タイペイにも延長戦の末に敗れて4位となった。1位は予選リーグ全勝の韓国。準決勝の日本―韓国戦は、アテネ五輪でメダルを狙うアジア№1の韓国に、とにかく五輪の切符を獲得したい日本が挑むという図式になった。

 しかも準決勝当日の朝、日本はポイントガードの楠田が発熱して欠場。控えの薮内が、この大会で初めて先発することになった。
「3位狙い」も意識して、大山、濱口のベテラン2人もプレイタイムは抑え気味。控えの立川真紗美と江口が、前半から出場した。

 しかし結果的に「3位狙い」を意識せず、回ってきた出場機会に全力を傾けたこの控え組が、素晴らしいパフォーマンスを見せた。ディフェンスを、予選リーグでのオーソドックスなマンツーマンから、ミスマッチ覚悟のスイッチング・ディフェンスに変えたことも功を奏した。

 ただ、それでも第3Q残り2分2秒、ビョン・ヨンハの3ポイントシュートが決まって、韓国のリードは8点に広がった。やはりダメか――会場にいた誰もがそう思った直後から、日本の信じられない逆襲が始まった。

アテネ予選では準決勝で再延長の末に宿敵・韓国に勝利。アトランタ以来、8年ぶりのオリンピック出場を決めた

 第3Q残り2分の間に、日本は10得点を挙げ、韓国は1点も取れなかった。結局、43‐41と、日本が2点リードして第3Qを終えたのである。中でも、韓国の司令塔チョン・ジュウォンのミスを逃さず、彼女が受け損なったパスを俊敏な動きで奪い取り、2度にわたって独走のレイアップを決めた立川のプレイは圧巻だった。

 第4Qは一進一退。残り4秒で日本が2点リードも、韓国にフリースロー2本。チョン・ソンミンがこれを2本とも決めて同点になり、延長戦に突入した。

 延長に入っても一進一退。同点で迎えた終了間際、日本は薮内がインサイドにパスを入れ、ゴール下でのシュートが決まったかに見えたが、これはブザーのあとのシュートで、認められず再延長へ。

 再延長は、薮内の強気のドライブなどが見事に決まって日本が常に先手を取った。残り1分16秒で日本78‐72韓国。だが、時間的に見て、まだ韓国にもチャンスはあった。しかし残り34秒、矢野良子がこの日8本目になる3ポイントシュートを決めて9点差となり、激闘はついに決着した。

 日本は決勝進出を決め、五輪切符を獲得。この一戦は「仙台の奇跡」と呼ばれるようになり、同名のタイトルで、ビデオになって発売された。

<2008年6月・北京五輪世界最終予選@マドリード>

アジア予選、世界最終予選ともに勝てず
オリンピック出場を逃す

北京予選前よりナショナルトレーニングセンターでの強化合宿が開始された。日本代表を応援する国旗が掲げられた中での練習の日々

 北京五輪から、オリンピック予選の形式が変わった。いわゆる「大陸枠」が廃止され、大陸予選で出場権を得るのは、どの大陸も1位だけになった。2位以下は世界最終予選(参加12カ国)に回って、上位5カ国が出場権を得る、という形式になった。

 日本は2007年のアジア選手権で3位に終わったため、世界最終予選に回った。当時、日本バスケットボール協会は、2006年に日本で開催された男子世界選手権の赤字問題に端を発した協会の内紛が表面化、女子の代表ヘッドコーチは迷走の末に、アテネ五輪の内海知秀ヘッドコーチが復帰していた。

 代表メンバーの主力は、アテネ組の大神雄子、矢野良子、矢代直美、そしてオリンピックのあと一度引退していたが、4年ぶりに代表に復帰した小磯典子(旧姓・濱口)。これに石川幸子、遅咲きの長距離シューター・三谷藍、さらには当時まだ20歳で、代表最年少だった吉田亜沙美が加わっていた。

中国が開催枠を持っていた北京五輪アジア予選(2007年、韓国)では、中国を除く最上位になればオリンピックの切符が獲得できたが、日本は準決勝で若手の中国に完敗して3位。優勝した韓国が北京の切符をつかみ、3位の日本は世界最終予選へと回った(写真は準決勝・中国戦)

 世界最終予選で、日本はまず予選リーグA組に入った。相手はセネガルとラトビア。当時、日本の世界ランキングは15位で、A組の中ではトップだった。実際、セネガルには勝ち、世界ランキング26位のラトビアにも勝てるかと思われたが、192~195㎝の選手4人を擁するラトビアに、第4Q残り4分36秒で69‐71と接戦を展開していたものの、そこからターンオーバーをきっかけに崩れ、69‐83で完敗した。

 ラトビアに勝ってA組1位なら、準々決勝の相手はアフリカ予選3位のアンゴラだった。日本はアフリカ予選2位のセネガルに勝っていたから、アンゴラには勝てる可能性が高く、準々決勝に勝って4強に残れば、その時点で北京五輪出場は決まるところだった。

 しかしラトビアに敗れて、A組2位となり、準々決勝の相手は世界ランキング9位のチェコになった。チェコは先発メンバーに190~197㎝が4人という、世界でも有数の高さを誇るチームで、アンゴラとは比較にならない強敵だった。

 だが、日本は小磯のフックシュートや、大神のストップ&ジャンプシュートが決まって、第1Qの途中、21‐11と大きくリードするなど、先手を取った。後半はリバウンドを支配されて逆転されたが、第4Q残り4分47秒で56‐63と、まだ勝機はあった。

 しかし、この日は頼みの3ポイントシュートが入らなかった。矢野が試投6本で成功1。三谷も6本で成功1。結局、64‐76で日本は敗れた。

世界最終予選ではラトビア、チェコ、キューバに敗れて出場権獲得ならず。最終予選の厳しさを肌で感じた(写真は準々決勝のチェコ戦)

 ただ、まだ五輪出場への可能性はあった。敗者復活戦の初戦で世界ランキング8位のキューバに勝てば、道が開かれる。キューバは明らかに格上だったが、日本は、終盤で吉田の華麗なリバースレイアップ、192㎝の山田久美子のフックシュートなど、絵に描いたようなプレイが決まって、第4Q残り3分7秒で58‐59と1点差に詰め寄った。

 だが、そこまでだった。このあと矢代が見事なステップで相手をかわし、レイアップを決めたように見えたが、これがトラベリングの判定。そこから得点できず、58‐66で敗れた。

 ラトビア、チェコ、キューバ。いずれに対しても日本は、第4Qの中盤までは接戦を展開した。だが、ひとつ共通していたのは、第4Qの残り3分ほど、ほとんど得点できなかったということだ。

 この点について、内海知秀ヘッドコーチは、大会後、次のように語っている。

「欧州の大きい選手と戦った時、国内やアジアより、もっと高く跳ばなきゃいけない。もっと強く当たらなきゃいけない。結果的に最後でスタミナが切れてきて、シュートが入らなくなる。だから、そういう中でも、しっかりシュートを入れる、しっかりいいパスを出す。それが、身長のハンデを克服する条件になると思います」