浜松・東三河フェニックス
王座陥落。

文・永塚和志  写真/加藤よしお

3連覇を目指した王者・浜松が、沖縄に負けた理由とは

4Qで2点差まで詰め底力を見せた浜松だが、最後は沖縄に押され一気に点差が開き、73-89で敗れた

松・東三河フェニックスは、JBLからbjリーグに転籍した2008‐2009シーズンにいきなりプレイオフに進出して3位になると、翌年から2年連続でファイナルを制すほど、圧倒的な強さを誇っていたが、ついに王者の座から陥落した。名将・中村ヘッドコーチ(HC)から河合竜司HCに指揮官が替わった影響もあるかもしれない。だが、レギュラーシーズンでイースタン・カンファレンスを首位で終えたことを考えると、それだけが理由ではない。ではなぜ、浜松は王者のファイナルで沖縄に敗れたのだろうか――。その原因を解き明かす。

河合HCの涙の訳
敗戦は自らにある

試合が終わって、優勝した琉球ゴールデンキングスの面々がコート上で歓喜の声を上げる一方で、敗れた浜松東三河フェニックスの選手とスタッフのほとんど全員が目に涙を浮かべていた。中にはタオルを頭から被り号泣する者もいる。

2011-12年のbjリーグシーズンは、ファイナルでフェニックスを89‐73で下したキングスの3年ぶりの王座戴冠となった。今年のリーグ王者決定戦は、昨季まで2連覇を達成していた浜松が、昨季は同軍の軍門に下ったキングスを受けて立つという構図だったが、今年は優勝への執念の勝った後者が最後に笑った。

昨年は負けた琉球が、追う者の強さで勝利したように見える結果だが、それだけがすべてでもなかったかもしれない。2年連続bjリーグの頂点に立っていたとは言っても、浜松はJBL時代から長年指揮を執ってきたチームの顔とも呼べる中村和雄ヘッドコーチが離れ(今季より秋田ノーザンハピネッツのHCに就任)、そのHCの下でアシスタントを務めていた河合竜児が後を継ぐこととなり、再出発をしたチームなのだ。

実際、今季開幕当初の10月は苦しんだ。開幕戦こそ勝利するも、2戦目から4連敗を喫するなど暗雲がたちこめた。前年レギュラーシーズンで40勝6敗という圧倒的な成績を挙げ、リーグ連覇を果たしたチームは危機に瀕したと思われた。

  だが、チームにベテランが多く、そうした状況でも冷静でいられたのはあとで思えば幸いだったかもしれない。主力選手のジェフリー・パーマーは、「フェニックスは新しい選手も数人いるし、新HCでもあるわけだから、基本的には他チーム同様、一からチームを作り上げている最中なのだ」と、その時点で語っている。彼の言葉通り、チームには新環境に慣れる多少の時間が必要だった。そして結局、このチームには力があったのだろう。11月以降は本来の実力を発揮するとペースを上げ、最後には再び東カンファレンスで最高勝率を挙げて、プレイオフでの第1シードを獲得したのだ。

カンファレンスセミファイナルの新潟アルビレックスBB戦では、初戦で破れながらも第2戦、タイブレーカーのミニゲームを取り、逆転で有明コロシアムでのbjリーグファイナルズ行きをつかみとり、さらにカンファレンスファイナルでは横浜ビー・コルセアーズを相手に、最大14点差をひっくり返してファイナルへの切符を手にしたのだ。

こうしてシーズンを振り返って激闘の跡を見てみると、ファイナル後のチームの涙の意味がわからなくもない。ただそれは、ファイナルで負けただけで出てきた涙ではなかったのだろう。

その涙を、あるいは一番多く流したのは河合HCだったのではなかったか。試合後、河合HCは、凝ったデザインの、ある意味では人に見てもらうべきとも言えるような眼鏡をたまらず外し、人目もはばからず泣いた。

「お前らは何も悪くないからな。最高のパフォーマンスをしてくれた。胸を張ってくれ」

試合後のロッカールームで河合は選手たちに向けてそう言ったという。タイムアウト中には激しい言葉を選手たちに浴びせた彼だが、敗戦という結果は自らに非があるとした。

敗因はいくらでもあった。最終第4Qに浜松が2点差まで追い上げるという場面はあったものの、試合を通じて、オフェンス、ディフェンス、すべてのフェーズ (側面)で琉球が浜松を上回った。だが、大差が着いて負けたわけではなく、少しでも流れを引き寄せていれば、あるいは浜松が勝つ可能性も当然あっただろう。

 

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